人生論

内観療法について

JB PRESSに内観療法についての記事があったので、紹介しつつ幾許かのコメントを記したいと思います。

自分を見つめる「内観療法」

内観とは、文字通り、自分自身と向き合うことだ。具体的に言えば、自分自身と関係のあった人間との関わりを、幼い頃から今日まで時系列的に下りながら、事実関係を思い出していくのだ。例えば、母や父や兄弟や家族などについて、「してもらったこと」「お返ししたこと」「迷惑をかけたこと」の3点について、ひたすら事実を思い出していく。

宗教でも同様ですが、自分と社会、中身と外界の関わりを認識することで、より大きな視野を得ることができます。

いつもは、ミクロな日々の悩みに振り回されている人も、人生を振り返ることで、マクロな視点を持つことができれば、日々のミクロな出来事や悩みが些事に思えてくるものです。

マクロな視点を得るために、ミクロな過去をじっくり振り返るというのは一見不思議に思えますが、ミクロな過去をマクロな視点(迷惑をかけたこと、などの一定の視点)から振り返ることで、マクロな視点を養成するのが目的ですので、矛盾はありません。

宗教もこうしたマクロな視点を培う上で有効だと思いますが、無宗教の多い日本においては、自分に依拠する形の内観療法が肌に合っているのかもしれません。

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努力は必ずしも報われない

私は、何事も極論というのはあまり好きではありません。そういう意味では、ある女子大教授のつぶやきさんのコメントは、考え抜いた結果の中庸というものを体現しているように感じます。

努力しても難しい

教祖ご自身は、頑張って努力して報われた人かもしれないが、同じようにしてみても、誰もが教祖と同じように成功するとは限らないのが人生であろう。努力することは人の生きがいであることは確かかもしれない。問題は成功とは何かということで、目的が達せられなくても、自分で或る程度の満足感を味わえることができたら成功なのかもしれない。

勝間さんに代表される努力すれば報われる型、この問題点は、理想と現実の間に押しつぶされる女性像で触れたように、脱落者のことを考えていない点でしょう。

また、人生どうせ大成できる人は一握りという考えもいただけません。心のバランスをとる防衛的思考という捉え方はできますが、それは、成功に囚われている心の裏返しという解釈ができます。

そういう意味では、成功できない自分は嘘だ、というのでもなく、成功なんかどうせできない、というのでもなく、自分で掲げた自分なりの成功に向けて、漸進的に人生を歩んでいくというのがベストであるように思います。

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学歴インフレという現象

アゴラで、興味深い意見を目にしました。

学歴インフレへの処方箋 井上晃宏

最初は初等学校卒だけで十分に威信の高い職業に就けたのに、教育が整備されるにしたがって、初等学校卒だけでは差別化できなくなる。このため、社会上層部への移動を目指す人々は、中等学校に進学するようになる。同じことが、高等学校、大学でも繰り返される。

大学全入時代、実を伴わないなどと言われて久しいですが、効率的な労働力配分、効率などを考えていくと、かなりの回り道になっているのは否定できません。

私も、真面目に大学に通ったと断言はできないような学生でしたが、その中でも、多くのことを学んだように思います。安直に言ってしまえば、回り道にも大きな意義があったと思えるのです。

高等教育に進む人を選別するという話、職場において選別するという話は効率性の追求という意味では理にかなっていますが、長い人生、回り道を経験する機会もないと、人間の深みというものが出にくいのではないかと感じます。

私自身、大学でもっと経済学や経営学、会計学など勉強をしておけばよかったなと思うことしきりですが、そんな思いがあって今の頑張りがあり、それもまた人生なのかなと思います。

ただ、学校教育や制度における歪みはかなり大きなものだとは感じていて、準医師制度のことや、英語選択制の議論なんかもしたことがあります。

以上、一見相反する二つの視点から、よりより形があるように思えてなりません。どちらにしろ、選択の自由という視点は重要でしょう。

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理想と現実の間に押しつぶされる女性像

日本から見ると、はつらつとしている印象を受ける米国の女性像ですが、それも作られた部分が大きくあり、現実は、その理想像との乖離に苦しんでいるということもあるようです。

どんどん不幸になっていく米国の女性たち

つまり、米国の社会には「今の自分に満足していなくてはならない」という強迫観念があり、それがプレッシャーとなって米国人女性を不幸に追い込んでいるのだ。

現在の米国で、女性が自分に満足することは至難の業だ。

理想の女性像とは、頭が良く、数カ国の語学を操り、高学歴で、男性と対等に仕事をこなし、高収入で、しかも男性に媚びることはなく、けれどセクシーで、美人で、スタイル抜群で、身に着けるもののセンスがよく、毎日ジムに通って運動し、健康に気を使い、優しいけれどはっきり「ノー」と言える自己主張があり、結婚したら完璧な妻となり、子供を産んでも家事も仕事も子育ても難なくこなし・・・と、現実にはあり得ないスーパーウーマン像が押し付けられている。

高い理想や、進歩主義というのは一見素晴らしいことのように見えますが、その副作用も決して弱くはありません。それを追求できるようなバイタリティが伴っていないと、記事のように押しつぶされてしまうことも多々あるでしょう。

まずは、階段を一段飛ばしで上ろうとせずに、一歩一歩着実にのぼること、そして、疲れたら踊り場で休むのも大事ということを意識して欲しいと思います。時には、階段を下りて少し休んでも構わないのです。

そうした確かなベースを作った先に、次のステージや新たなフロンティアが待っているのではないでしょうか。

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ビジネスの副作用

エコブランドの東さんが、ドワンゴ創業者の川上さんに関する興味深い記事を紹介してくれています。

[起業]起業家の功罪

ビジネスライクに徹すれば、同族の重用や身内への利益供与は事業の拡大に対してマイナスに働くことは、起業家ならば誰でも知っています。だからこそ身近な人たちに対して冷酷になれば、事業は大きく育つということでしょう。

でも、そんな人生にはどのような意味があるのでしょうか?身近な人たちすら幸せにできないビジネスに、そこまで使命感を持って打ち込めるほど、私自身は強くありません。六本木ヒルズに住もうなんて気は毛頭なくて、最低限、いろいろな楽しい人たちと自由に暮らしていければ満足です。

たしかに、身内の中からベストを探すよりは、人材を広く募ってよい人材を探すほうがよい人材が見つかる可能性が高いともいえます。また、どうしても同族は大事にしてしまいますから、公開会社ともなれば避けなければならない事態だと言えるでしょう。

東さんの考えはわかりますが、会社というものはそもそも広く幸せを提供する使命を帯びたもので、たとえ本人は後悔しているにせよ、犠牲を伴ってまで広く貢献しようと思ったその気持ちを、軽々しく批判することはできません。

特に、身内ということですと、自己を扱う場合と同様、謙譲の精神で取り扱ってしまうこともあります。こうした悲劇は世の中のあらゆるところに転がっている穴であると言えると同時に、それこそ『成功者の告白』のコンセプトのように、事前に知っておくことが必要なのでしょうね。

ちなみに、原文は以下。

弟の相談を笑っていたら死にやがったw

弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。

父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。

自己中心的なように感じる人もいるでしょうが、後悔してもしきれない感情が伝わってきます。切なくなる話です。そこから、何かを生み出そうと再び歩き出すその気持ちは、評価できるのではないでしょうか。

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学生時代の仲間と何を語るか

山崎さんのブログで、おもしろいネタが取り上げられていました。

同窓会にふさわしい話題は何か?

会話の参加者が興味を持って話せて、陰気にならず、自慢話にならず、自分にしか関わらない話題ではなく、主義主張の対立を招かない話題というのは、考えてみると難しい。皆が興味を持つ世間話があるといいが、日頃から話題の仕入れに気を配る必要がある。

たしかに、話題選び一つでその場の空気がずいぶん異なるものとなってしまうので、話題選びには気をつかうべきなのですが、実際にはそこまで気をつかう機会はありません。

なぜなら、ある程度のコンタクトのある旧友としか会っていないので、そういった機微をすでに前提として理解しあっている中で会話がなされているためだと思います。

とは言え、これから同窓会などの機会で、仕事や病気のことは気にかかるようにはなってきますが、そこをぐっとこらえて趣味など生活に関するトーク、笑えるトークを追求したいと思います。

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一度しかない人生だから・・・

一度しかない人生だから・・・というのはよく聞く枕詞ですが、その後に続く言葉はさまざまです。

たとえば、一度しかない人生だから、絶対に失敗はできないと考える人はいるでしょう。こういった人は、リスクに敏感で、保守的な考えを持っています。そして、何らかの偶然で大きな損失にめぐり合うと、必要以上にココロのダメージを受けてしまいます。

一方で、基本的に慎重ですから失敗のリスクはそもそも少ないですし、失敗したくないという思いから、努力を重ねて成功率が上がるでしょう。

かたや、一度しかない人生だから、多少失敗してもいいやという人もいます。つまり、人生は有限なのだから、失敗したとしてもその苦しみがいつまでも続くわけじゃないという考え方です。?こうした人は、リスクを積極的にとり、革新的な考えを持つ傾向にあります。?大きな損失に出会っても、ケ・セラ・セラでどうにかなるさと考えます。

一方で、リスクに鈍感な部分があることから、成功するにしても失敗するにしても極端になりがちです。

さて、どちらの人生がいいでしょう?などという安直なお話はしません。

人生の捉え方は人それぞれであるからです。そもそも、輪廻転生を信じる人々ならば一度しかない人生という前提そのものが違うでしょうしね。

ただ、自分自身の人生の捉え方が偏っているがために、苦しむことが多いというのであれば、もう片方の意見に耳を傾けてみるのもいいでしょう。それによって、バランスを身につけることで、ココロを苦しませずに、人生を楽しむことができるような理想に近づくのではないでしょうか。

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プロジェリアの女の子、アシュリーが亡くなる

フジテレビ系でよく取り上げられていたプロジェリアという難病で苦しむ女の子、アシュリーが亡くなったとのことです。

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プロジェリアは、通常の10倍程度の速度で加齢が進むという病気です。

アシュリーの外見は、頭に血管が浮き出て、髪もなく、皮膚もハリがなく、肉はつかず、目もギョロリと飛び出てしまい、小さいのに老人であるかのようでした。そして、死も早く、15年程度が平均寿命だったと思います。

そうした運命のもと、懸命に生きるアシュリーの姿は、ココロを打つものがありました。死が身近なものとして感じられるからこそ、精神的な成長を得ることができ、「人生はどう生きるかであり、長さは重要じゃない」という趣旨の価値観を身につけるに至ったのだと思います。

このことは、死刑囚の改心を思い起こさせます。

美達大和『人を殺すとはどういうことか』で読んだのですが、無期懲役の囚人はほとんど改心することがないのに対し、死刑囚は改心や悔恨などが多いようです。これは、死という厳粛な現実に長期間向き合うことで、生の尊さが意識されるようになり、殺人などの重さが身にしみて理解できるということではないでしょうか

アシュリーの投げかけた教訓は、日々の喧騒の中で忘れ去られてしまうのがほとんどでしょう。しかし、ごく少数の人であれ、一生残るようなメッセージをアシュリーが投げかけたのだとしたら、それはアシュリーの死後も、アシュリーの人生の意義を深めることになるでしょう。

そういう意味では、日々の忙しさを一時忘れて、アシュリーをきっかけとして、人生について考えてみることもいいのではないでしょうか。

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人生はトレードオフ

トレードオフの重要性については、以前に触れましたが、池田信夫ブログでさらに議論が深まっていたので、リンクを貼ると共に、人生に当てはめて考えてみたいと思います。

[高校生の経済学] 経済学の10大原理

上のリンクでは、経済学的観点から考えたトレードオフが考えられていますが、人生における総合的な選択においても、トレードオフは重要な要素です。

たとえば、仕事を選ぶ時などが一番説得力のある例でしょう。一般に、経済的な安定は、忙しい労働スタイルの裏返しです。もちろん、楽に働けて、経済的にも安定できれば理想的なのですが、そうした理想像を達成できるのはごく一部であり、多くの人はその中でバランスをとっているわけです。

ここで、経済的成功と労働時間の適正さのどちらを選ぶかという問いはあまり意味のないことがわかります。なぜなら、どちらを選ぶかというのではなく、どちらも大事なので考慮しつつ、自分の価値観に合ったバランスをとっていくのがベストだからです。

人生における選択は、総合的な効用や費用を考えていかなければならないので複雑であるということもあり、普段意識されませんが、常にこうした選択を繰り返して生きているわけです。

ただ、経済学の場合と同様に、極端な答えを求めたがる人も多く存在し、体を壊すまで働いたり、世捨て人のように一切働かないという選択肢もあるのが人間のおもしろいところだと言えるでしょう。

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トレードオフの重要性

経済学を学んだ者としては、感覚的に当然とされている考え方なのですが、トレードオフを否定する人々で改めて指摘されてみると、世の「常識」と言われていることや政府の政策に対して常々感じている違和感は、一部は、常識や政府の政策にトレードオフの視点の欠如していることから来ているのだなと気付かされました。

経済学者はつねに絶対的な価値を疑い、トレードオフを考えるが、世の中には特定の目的が他のすべてに優先すると主張する人が多い。

この言葉に多くのことが詰まっていると言えるでしょう。

絶対視というものは、個人の心理の中に潜めばメンタルバランスの崩れにつながりますし、民衆の中に潜めばファシズムに容易につながります。恋愛でも、それによって相手のちょっとした過ちが許せないということになることがあります。

こうして考えると、絶対視の危険性とトレードオフの重要性は、生きていく上で意識していかなければならないのではないでしょうか。

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弁理士(Patent Attorney)志望、個人投資家(Invester)。TDLと同い年。平成24年合格を目指して3月から勉強開始。F1とドラえもんをこよなく愛す。I wanna be friends and build strong ties with you:)特に知財関係の方は宜しくお願いします。