都市集中と地方分散のどちらが好ましいか
JBPressで、松谷明彦さんの論説が載っており、すべてに頷くことはできないものの、いいなとうなってしまうような発想なんかもあったので、その部分について紹介したいと思います。
まずは、都市と地方の役割分担についてです。
一方、欧州などでは大都市に負けず劣らず、中小都市や農村部で消費が行われている。それは大都市の人が中小都市や農村部に出掛け、そこで消費するから。人が国中を動き回っているわけだ。(中略)
米国のシカゴを見ると、極端に言えば街の中心部には若者と高齢者しか住んでいない。結婚して子供を持つ世帯は主に郊外に住んでいるからだ。そこは良い住宅地となり、良い学校ができる。逆にお年寄りのための介護施設はほとんどない。若い時はシカゴ中心部に住み、その後は郊外に移り、年を取って公的介護が必要になると再び中心部へ戻ってくる。
私としては、基本的に都市集中で効率化を図ることがベストだと考えていましたが、シカゴの例のように、効率化メリットが多大な高齢者向け施設は都市部集中で、さまざまな移動手段が使える層は郊外に住むというのもいいなと感じました。たしかに、都市集中には、過密によるさまざまなデメリットも伴いますので、ライフステージによる分散というのはいいアイデアのように感じました。
ただ、問題点としては、都市集中と同様、それを強制するわけではないので、地方にいながら公的介護サービスを受けたいなどといったニーズは切り捨てざるを得ないといったものが挙げられるでしょう。また、車社会を大前提としているので、そこに囚われる必要があるかどうかも検討する必要はあるでしょう。
続いて、介護や福祉のあり方についてです。
スウェーデンでは例えば、中年の婦人が隣のお年寄りの面倒を見るとお金がもらえる。場合によっては自分の家でお風呂に入れてあげたりする。本来、大抵の高齢者社会はこれで済み、専門のヘルパーや施設が必要になる状況は多くない。ボランティアではなく、「本来なら国がやるべき福祉をこの人たちがやってくれる」ため、当然その報酬を税金で払うべきだということになる。そうすれば、デイケアセンターなど箱モノがいらない。それをオペレーションする役人も不要になる。今だと100の税金があったら、高齢者に行くのはせいぜい20~30ぐらい。残り70のうち3分の1ずつが役人、箱モノ、業者に回っている。しかし、オバサンが隣のオバアチャンの面倒をみるなら、役人も箱モノも業者もいらない。
これに関しては、今後は、元気なお年寄りの数が増えてくるわけですから、検討していく必要があるように思います。福祉を受ける側の人にバウチャーを渡して、それによって相手が誰でもサービスが受けられるという方式ならば、さまざまな厄介ごとはなくなりそうです。松谷さんがおっしゃるように、かなりの介護保険料や税金が節約できるように思います。
問題点としては、そうした対象が見つからない人々もいるということで、そういった人々にどう援助の手を差し伸べていくかということ、そして、「お年寄りの面倒」という枠組みの中で、どこまで素人でもOKにするのかという線引きの問題があるでしょう。
どちらも荒削りな視点ではありますが、地方の問題、福祉の問題など、日本を取り巻く重要な問題を考える上で、一助となる視点であるように感じました。
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地方の再生には人口の流動と地方発のビジネスモデルが必要
現在の都市と地方論を地方の視点からとらえているのがユニークである。