名大関・魁皇引退と世代交代の予感

カド番を経ずに魁皇が引退したことは、あまりにもサッパリした引き際だっただけにややサプライズの感がありました。

魁皇 笑顔の引退会見「悔いも後悔もない」

「琴奨菊は大関目指して頑張ってる。そういう力士が出てきたからというのは多少あります。琴奨菊にしても稀勢の里にしても(今場所は)自分の形になって負けた」(中略)

最も印象深い一番は00年初場所千秋楽、7勝7敗で迎えた武双山(現藤島親方)戦を挙げた。当時、関脇同士でライバル関係にあったが、その相手に簡単に押し倒されて惨敗。「あの悔しさがあったから大関に上がれた」。そこから奮起した魁皇は翌々場所に大関昇進を決め“名大関”の道を歩むことになった。

魁皇と言えば、貴乃花と曙が全盛の時代には名三役として、武蔵丸時代に大関として頭角を現し、朝青龍時代には横綱まであと一歩というところまで行きました。白鵬時代にはさすがに衰え、勝ち越すのがやっとの状況でしたが、2006年頃の崩れ方に比べ、近年は安定的に8勝から9勝を挙げており、昨年の九州だったかは久々の12勝という大勝ちまで見せました。

魁皇の相撲内容的には、賛否両論ありました。左四つ右上手の絶対の型は、その態勢になれば相手が横綱であろうとも問答無用で倒せるほどの強さを誇り、型のある力士のお手本のようでした。一方で、苦しい態勢になった際の強引な小手投げなどは、栃東や栃ノ洋など多くの犠牲者を生み、どうかなと思うときもありました。

とは言え、武蔵丸相手に対戦成績拮抗、同時代を彩った主だった大関陣には圧勝という輝かしい成績で、通算勝利数などの記録には、その数字以上の中身があると言っていいでしょう。ただ、曙や白鵬、貴乃花など強豪横綱との対戦成績はやはり分が悪く、横綱と大関の境目はそんなところだったのかもしれません。

2004年の綱とりで、12勝を挙げて見送りというのが印象に残っていますが、魁皇の場合、平凡な横綱としてよりも、最強の大関としての人生がよかったのではないかと思います。なんだかんだで、2006年頃には引退危機がささやかれていましたから、こんなにも長く見れてうれしかったし、琴奨菊や把瑠都との対戦成績を見れば、しっかり若手への壁の役割も果たしていたと思います。

さて、魁皇の後継として名が挙がっているのが稀勢の里と琴奨菊です。

日本人力士“一番星”の稀勢の里、再び輝きを取り戻せるか

ワラにもすがる思いの稀勢の里は、今年の初場所前の貴乃花部屋の新年会に招待されるなど、平成の大横綱に急接近。ひそかにさまざまなアドバイスを受けていることを人伝に知った鳴戸親方は飛びあがり、こう言って断絶を迫ったという。

稀勢の里も琴奨菊も今ひとつ皮がむけ切れず、鶴竜と共に三役に滞留しています。上のような記事もありますが、外の風を取り入れるのは稀勢の里の場合必須だと思います。今後は、魁皇なんかからも学んでほしいですね。

次点で、豪栄道や隠岐の海、栃煌山、魁聖あたりが控えています。魁聖は大関まで駆け上がるのは時間の問題だと思います。

日本人力士の大黒柱が去った今後ですが、短い間に角界を支える大関・横綱が出てくることを望みます。

弁理士(Patent Attorney)志望、個人投資家(Invester)。TDLと同い年。平成24年合格を目指して3月から勉強開始。F1とドラえもんをこよなく愛す。I wanna be friends and build strong ties with you:)特に知財関係の方は宜しくお願いします。

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